pcocoa_01の日記

高卒フリーター

いじめと、その馬鹿げた理由

こんばんは。cocoaです。

趣味の創作小説を読んでいたら三日坊主どころか二日坊主になってしまいました😂 すみません🙇🏻‍♀️

 

今回は私の不登校時代のお話をしたいと思います。

前回のブログに書いた通り小学五年生の修学旅行の翌日に何かの糸が切れたように不登校になりました。そこからは毎朝毎朝、母親に学校行くように言われましたがずっと拒み続けていました。祖父祖母との二世帯住宅なので、祖父祖母からも学校に行くよう言われ、時にはお金あげるからとトイレから出てこない私をお金で誘うこともありました。(勿論学校行きたくないし子供ながらお金で誘うのはゲスいと思ったので貰ってません)とにかく現実から逃れようとずっとこたつで寝転んで楽しいことを想像していました。私はいじめのことを何故か誰にも言ってなかったのです。だから親がただ単に「怠けてる」「甘えてる」と思うのも当然です。一度家族会議で祖父が私をクソ呼ばわりしたのは傷ついたので覚えています。何年も前の話なのでうろ覚えだけど、親にいじめを話したのは六年生の秋でした。

 

は……!書いてて記憶のなかに大きな時差があるのに気づきました😱修学旅行は六年生でした…そう私は六年生で初めて不登校になったんです…(笑) 正しくは五年生でいじめられてそれを我慢し続けて、六年生の修学旅行の翌日に不登校になったです。気を取り直して続きをお話します!😂

 

そこで初めて親にいじめられてることを話したんですよね。何でもっと早く言わなかったのと親に怒られましたが、頼れなかったしとにかく必死すぎて話すのを忘れてたんですよね…。そして家で少し休んで本当は嫌だけど別室で授業を受けることになりました。毎日教頭先生と授業するのは少し苦痛でしたがクラスでみんなと居るより怖がる必要もありませんでした。休み時間になると生徒がうろうろするので間違えてドアを開けられるのではないかと気が気ではなかったですけど((>_< ;) そして担任の先生が相談してくれて、少しづつクラスの子たちが給食を持ってきてくれるようになりました。内心とてもドキドキしてましたが会うと皆気を使ってくれてるのが分かって、クラスでもそうしてくれたら良かったのにと思ったのを覚えています。ここでは私は実はあることを狙っていました。五年生の頃、仲良くしてた友達に何で無視をしたのかそれを直接聞くことです。神様なんて信じていないけど、神様のおかげか他の生徒が全員トイレに行き、その子と二人きりに一瞬なれたので絶対逃すまいと単刀直入に「何であの時無視したの?」と聞きました。相手は案の定、気まづいので黙り込んでしまったけど「私は〇〇が突然自分の気持ちで無視するとは思えない。誰かに命令されたの?それは誰?」と問い詰めるとその子は白状してくれました。主犯格は分かってたけど、返ってきた答えに納得がいってラムネ瓶のビー玉が落ちたようにコロンと音がしたようでした。何故かその時私は安堵し、馬鹿げてると笑っていました。

 

本当に馬鹿げてる理由なんです。その子に理由も聞いたら「腹立つから孤立させるようにして」と命令されたということです。私はその子には腹が立たたずむしろ話してくれてありがとうと思いました。いじめてきた子に対しては呆れて馬鹿らしくてそういう奴よなという感情しか湧きません。何より腹が立つのは"そんなくだらない理由でいじめられていた私です" これ以上に腹が立つことがありません。特に何をしたとかではなく、勝手な嫉妬でいじめられていたのです。完全な白だけに二年間というこの時間を苦しめられたこと、そこから人間不信になったこと、考え方も変わってしまったこと、とても悔しいです。

 

次回は中学生になった私の話をします。

感情的になってしまったので文章が読みにくかったらすみません🙇🏻‍♀️

 

#いじめ #不登校 

 

過去のいじめと私の猫かぶり

こんばんは。cocoaです。

今回は私の過去についてお話できればなと思います。キラキラしたものではないけどどうか最後まで読んで頂けると嬉しいです☺️

 

私は幼稚園に通っていた頃から家の中では一番うるさいのに一歩外に出たら別人のように大人しい子になってよく母に「猫かぶり」と言われてました。小さい子どもながらそれはコンプレックスに感じていて、どうして私は家の外に出たら大人しくなるんだろうと心のどこかで悩んでいました。どうにか「明るい子」として見てもらいたくて褒められたくて先生に頑張って作った折り紙を見せたら目も合わせず「今それどころじゃない」記憶が古いのでうろ覚えだけど冷たくそんなふうに「あなたに関心を向けてる暇はないの」と言われたように感じ、深く傷ついたのを今でも覚えています。今も思うとそれから私は自己表現をするのが怖くなったように思います。

 

小学生に上がったら少し活発になり「本来の自分」でいられる時間が長くなり、よく男子とおふざけをして先生に怒られてました。「言われたら言い返す」「売られた喧嘩は買う」男の子のような女の子でした。だけどそれも低学年までの話です。高学年になると思春期に入り、好きな男の子も出来てだいぶ大人しくなりました。するとクラスで明るい女子軍団。当時、ドラマの「35歳の高校生」が流行り一軍とか二軍とか生徒の中でランクづけが始まりました。私はその子たちの中で決められたランクのなかで二軍に居ました。馬鹿らしい話ですがその子たちの評価によると「普通の子」らしいです(笑)その普通の子が何故か、後にいじめに合うんですけどね… 

 

いじめを実感し始めたのは小学5年生の頃。仲良くしてた2人の女子が突然、私に冷たくなったり無視し始めたのです。学校の帰り道で話かけても「その話は何度も聞いた」「その話ばっかりだね」昨日までは頷いて聞いてくれたのに急に冷たくなったのです。親に相談しその子の母親に電話して嫌う理由を教えてもらったら「嫌ってない」だそうです。じゃあ何で無視するの?って話なんです。理由もないのに無視する友達が信じられなくなりました。それからいつも通り学校に行っていても何もしてないのに「気持ち悪い着いてこないで」「あっち行って」「〇〇の服ダサくね?似合ってないよね」など気持ち悪がられたり避けられて、逃げられて、悪いことした覚えはない子からもそういう差別を受けました。こういう悪い感情たちって感染していくんですよね。だから居場所がなくなった私は大人しい子のグループに居ました。でもずっと心のどこかで「私はこんな大人しくない」と思っているけどいじめてくる人たちと仲良くできる訳もなくて、居場所をなくし小学校の修学旅行翌日に、不登校になりました。

 

今日の過去のお話はここまでにします😌前回のブログにも書きましたが、いじめは私にとって一生の傷で一生のトラウマであって20歳になった今でも傷は癒えていません。思い出しながら書いていると胸が苦しいです。だけど書きながら途中で忘れていた感情も思い出せるのでブログに感謝です☺️(笑)次回は不登校になってからのお話をしたいと思います。

 

今日も一日お疲れ様でした☕️

 

#過去 #いじめ #トラウマ 

生きづらい私のこと

初めまして。夜に小説を読んでいたら登場人物がWebデザイナーをしてブログを書いてるという事から「私も始めてみよう」という衝動的な感じで書いてみようと思い立ちました。初心者で右も左も分からぬ20歳なので誹謗中傷などはお控え下さい。

 

自己紹介

ニックネーム cocoa

高卒フリーター岡山県在住の20歳

 

さて、タイトルにある生きづらい私のことですが最近はHSPなど生まれ持った繊細で優しい気質というものが話題になってますよね。私にはひとつ上の姉がいるんですが姉はザHPSという気質で、基本的に優しいし音や人に敏感だし気配りがよく出来ます。自分より周りを優先する人間です。なら私はどうなのかと考えたとき、音や人に敏感で自分で言うのは変ですが優しい心を持ちながらも姉のように気配りが出来ません。だけど繊細すぎて傷つきやすい性格をしています。だから私はHSPとは違い過去のトラウマからくるものなのかな?と考えたりで詳しいところはよく分からないです。

 

私が抱えてる生きづらさですが、上に書いた通り「繊細で傷つきやすい性格」「過去のトラウマ」にあると思います。性格や過去はどうにもならないと思ってる人間なので、こりゃまた難題なのです…(泣)「性格を変えなさい」「考え方を変えなさい」「過去は過去」と何度も言われてきたけど、まあ考え方は変えようと思えば変えられる。だけど性格は性格だし過去ってそう簡単に断ち切れるものじゃないですよね?少なくとも私はそう思っていて、どんな過去にかはよるけど私の場合は「傷ついた過去」なので余計にそれを無かったことになんて出来ません。相手側は遊び半分でその場の感情でしたことだとしても本人にとっては一生の傷で一生のトラウマで、それが今の私に繋がってるんです。この性格になったのはお前らのせいだって押し付けたい気持ちはあるけど、あの時の私も本当に臆病で非力だったので全てを相手のせいにするというよりかは、弱すぎる自分に対しての怒りが今でも収まりません。

 

過去については次の更新で詳しくお話しますので、こんな私のブログで良ければまた見にきて下さい☺️

#HSP #繊細さん #生きづらさ #フリーター